コラム

「手を当てるだけ」の「手当て」について

「手を当てるだけ」 いわゆる「手当て」という手技があります。

「手当て」というのは、テクニックなのか、概念なのかは、よくわかりません。

「手を当てるだけ」の「手当て」というのは、身体のどの場所にも行うことができます。

「手を当てるだけ」の「手当て」を行うと、どんどん身体が整って痛みが取れていっちゃうんです。

いわゆる「手当て」は「〇〇に効く」「△△が変わる」というようなものではありません。

いわゆる「手を当てるだけ」の「手当て」を受けた患者さんから

「気でも出しているんですか?」

「不思議? どうして?」

「なんで?!」

とよく言われます。

普段、あんまりちゃんと説明していませんので、「手を当てるだけ」の「手当て」についてブログで書いていきたいと思います。

「手当て」は、言語化するのが難しく・・・まとまらない文章でごめんなさい。

「手当て」とは?

「手を当てるだけ」の「手当て」

その中でも私がよく行うのが

  • お腹に手を当てておく
  • 骨盤に手を当てておく
  • 頭に手を当てておく
  • 足に手を当てておく

という手技があります。

患者さんにはお馴染みですよね。

「手を当てておくだけ」というのは、なかなか難しいのです。

  • 治したい
  • 良くなってほしい
  • ここに変化を出したい
  • どこに効くのかな?

そんなことを考えちゃうとダメなんです。

手が変わってしまうのか。患者さんに全く変化が出なくなります。

言うならば、親が子供に当てる手の感じなんです。

寄り添うとでも言うのでしょうか。

手当てとは命との対峙。

あなたの命が本来の輝きを取り戻すために、全力で向き合います。

「手当て」は何をやっているの?

実は、施術に強い力は不要です。

長年、施術していて感じるのが、ねじれた関節や身体が歪んでいるのを、強い外力で矯正するような施術を行ったところで、あまり身体は変化しないものなのです。

関節が捻れるのも、身体が歪むのも、必要があってその状態になっているです。

捻れや歪みの元になっている、脳からの出力を変える必要があるのです。

脳からの出力を変えるために大事なのは、気づきをうながすこと。

筋肉と拮抗する筋肉が、ある割合で出力することで、捻れや歪みやなどが発生しています。

脳がその歪みねじれを認識し、出力が変わることで、筋肉の不要な緊張が消失して、歪みや捻れが変わるのです。

「手当て」を施すことで、身体の声を聞き、信頼して、自然に元に戻ることを促すのです。

「外から施術すること」という概念も大事なのですが

「脳が捻れや歪みを認識し、自然と修正するように手当てで脳にフィードバックをかけること」

という概念も大事です。

「手当て」で変化が出ないのはなぜ?

  • 膜が・・・
  • fasciaが・・・
  • 内臓が・・・
  • どれくらいの強さ?

ここで色々と、あれこれ考えすぎて、落ち着かない感じで触れ出すと、不思議なことに全く変化が出なくなります。

でも、もちろん解剖学的な視点・知識も必要だし大事です。

身体を理論的にメカニカルにみていくことも大事です

でも、ほんの少し違うだけで、同じように「手当て」を施しているだけなのに、結果が出なくなるんです。

理由を自分なりに考えてみました。

知識や経験が増えれば増えるほど

  • スゴイでしょ?
  • 俺ってゴッドハンドでしょ?
  • 気持ちいいでしょ?
  • 俺のテクニックスゴイでしょ?

なんてやりがちなもの。

私も、こんなしょうもない天狗の時期がありました。

「〇〇を治した」とか、そこではありません。

これって一方的に押し付ける感じというか、相手をちゃんとみていないんですよね。

一人の人間として、相手を尊重してみれてないということ。

身体はモノじゃないんです。

身体は人間であり、その人の人生そのもの。

生きてきた人生経験が身体に現れています。

喜び、悲しみ、怒り、葛藤、絶望、全ての感情が身体にぎっしり詰まっています。

痛いのはイヤですけど、痛みもその人の立派な自己表現の1つなんです。

「痛みが良い」とか「痛みが悪い」という次元の話ではないと個人的には思っています。

私が「手当て」で何をやっているかというと

「手を当てて人間そのものを感じ取る」

手当ては命との対峙とも言えます。

ということをやっているのです。

「手当て」することで、患者さんのことを少しでも何かを感じ取りたい。

「手当て」することで、身体の声なき声を少しでも感じ取りたい。

私が患者さんに何かをするということは、おこがましいことなのですが、患者さんの人生を少しでも知って理解したいし、応援したいと思っています。

さまざまな感情、過去のこと、未来のこと、手を当てて、少しでも汲み取れればと思っています。

私がなりに定義する「手当て」とは

「命との対峙」

「手当て」することで、決して、治そうとか、治されたいとか、そういうことではないんです。

大事なのは「相手の身体を手で感じる」ということ。

決して何かを押し付けることでもなければ、何かを奪うということでもありません。

「手当て」を一言で言うならば「愛」なのかもしれませんね。

相手を理解して尊重する

最近まで、私も相手を理解して尊重するということができていなかったのかもしれません。

年齢を重ねて、経験を重ねて、少しくらいは色々なことがわかるようになったのかもしれません・・・

がまだまだですね・・・

日々、施術をしていて痛感します。

解剖学とか、生理学とか外傷のこと、テーピング、手技のテクニックも大事ですが、人としてもっともっと大事なことがあります。

施術には、普段の生活や友達や家族への向き合い方なんかも全部出ます。

普段、色々なことに雑に向き合っていると施術も雑になります。

掃除の仕方、物の扱い方、言葉使い、挨拶、家族への接し方、ダンベルやバーベルの扱い方、ハゼの釣り方、プロテインをこぼさない・・・・・・もっと丁寧にしないと・・・

どうしても目に見える結果が欲しくなるし、結果だけ見てしまいます。

でも結果よりも過程の方が大事。

目に見える部分よりも、見えない部分の方がもっと大事。

小事が大事ということです。

もっと細部にこだわり抜かないといけないと思います。

全然まとまっていませんが、私は日々そんな感じで「手当て」を行なっています。

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川崎浩司

「ながさき整骨院」代表  川崎浩司

厚生労働大臣免許 柔道整復師

2012年開業 看板も出さず宣伝広告を一切行わない、口コミ中心のスタイルで運営中。

人見知りで人前で喋ったり、目立つことが苦手なのに、うっかり(株)医療情報研究所から2018年に全国の徒手療法家向けのDVDを出版

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